ネット右翼の文法【4】

下の記事中の石原発言をめぐって、あちこちで噴きあがっているようだ。保守派の思想基盤を鍛えあげることを課題とする我々としては、ここで考えてみたい:どんな噴きあがり方が適切な噴きあがり方であるのか、と。

石原慎太郎都知事は27日、東京都議選の告示後初めて候補者の応援に入った。
午後4時ごろ、石原知事は品川区で候補者の選挙カーに上り、20分余りにわたってマイクを握った。「もし小泉総理が今年参拝しなかったら、その時点でこの国はぼろぼろ腐って崩れていく」などと、靖国神社の参拝問題や都の治安対策について主張。
Source:朝日新聞2005年06月27日

拙速な反応の典型は、次のようなものである:
【α】この国が「ぼろぼろと腐って崩れて」いっていいわけがない→参拝しろ!
これでは、迷信めいた邪心信仰に靖国参拝を同値することになる。参拝擁護は防腐剤がわりではないのだから、我々としては、石原氏のレトリックを幾分か洗練させることを考えてみたい。
まず疑うべきは、石原氏が靖国と国の未来とを結び付けるその論理である。彼は一見、腐朽していく日本の未来を暗示することで参拝を煽る誇張表現を用いているように見えるがこれは、字義通りの悲観というよりは、随分な楽観に基づいているように私には見える。裏を返せば、
【β】『参拝さえすれば』→『腐らずに済むor日本はよくなるor毅然外交に資するものがあるetc』
という楽観に彩られた妙薬として、参拝を軽んじる言辞を用いてしまっているのだ。
とすれば、真の愛国者は、石原発言に乗じて噴きあがるよりも、彼のこの楽観をこそ諫めるべきである:参拝は、この国を「ぼろぼろ腐って崩れ」させないために、必要最低限の初手にすぎないのである、と。

Birth Tax

日本では国民1人あたりの国の借金がおよそ700万に近づいていると言われているが、アメリカのそれは──Birth Taxと仇名される国民の借金は──『新生児』一人当たり1600万円を軽く越える見込みであるという。

  • three-fourths of our new debt is now being purchased by foreigners, with China the biggest buyer of all. That gives China leverage over us, and it undermines our national security
  • More than two centuries of American government produced a cumulative national debt of $5.7 trillion when Mr. Bush was elected in 2000. And now that is expected to almost double by 2010, to $10.8 trillion.
  • President Bush has excoriated the "death tax," as he calls the estate tax. But his profligacy will leave every American child facing a "birth tax" of about $150,000.

Source:June 26, 2005 A Glide Path to Ruin

ブッシュ政権の放蕩ぶりは何とも凄まじい:上の数字によると、過去二百年のあいだに累積されてきた負債額を、2010年までに倍増させる勢いであるという。均衡予算がもはや共和党の玉条ではなくなってから久しい。
興味深いのは、Nicholas D. Kristofがこれを中国脅威論の一環として語ろうとしていることだ:対外負債の増加は、最大の債権購入者となる中国に大きなレバレッジを与えることになるのだ、と。

:自閉症

自閉症アメリカでの発症件数の増加ぶりが目覚しい:

Diagnoses of autism have risen sharply in recent years, from roughly 1 case for every 10,000 births in the 1980's to 1 in 166 births in 2003.
Source:June 25, 2005 On Autism's Cause, It's Parents vs. Research

水銀の摂取との相関性は、もう数年で明らかになるらしい。科学的な背景がこの増加に関係ないのだとしたら──記事はその可能性を匂わせているが──、社会的な要因に規定された発病だということになってしまうのだろうか?

ファスト風土化?

冷泉彰彦氏は『from 911/USAレポート』第204回のなかで、三浦展氏の『ファスト風土化する日本』についての読後感を語っている:

[・・・]この本全体としてはあまり愉快な感じがしませんでした。まず、東京の視点からそこまで「地方」を全否定するような見方自体が「コミュニケーション」として納得が行きませんでした。それに「地方の画一化が問題」という指摘は正しいにしても、これに対する処方箋が「吉祥寺」や「下北沢」の文化というのでは、応用が利かないと思ったのです。画一化から脱する方法は、地方の個性に「誇り」を与えることであり、またその誇りが「古さ」ではなく時代に合った合理的な新しさでなくてはならないと考えている私には物足りない感じがしました。
ただ、沈滞する地方がナショナリズムの温床になっているという指摘は無視できないと思います。
[・・・]都市と地方の問題、家族の崩壊の問題、産業構造の転換の問題が、多元連立方程式のような形で、人々の心に欠落感を与えているのでしょう。
(太字強調 引用者)

昨年のアメリカ大統領選の開票結果を赤青で塗り分けた全州の地図は、比較的牧歌的色を濃く残す内陸部がきれいにレッドステイツの共和党支持になっていたことをふと思い出す。日本の不幸は、二大政党化に向かいつつあるといっても、そのどちらの政党にも都市重視の政策選択肢しか妥当なものとして残されていないことではないだろうか:自民・民主のどちらもが、地方の時代を叫びつつも、実際にそれを具現化する哲学を提示できずにいるのだ。彼らが与えることができるのは──そして地方が期待できるのは──哲学ではなく単なるパイの配分としての補助金でしかなくなっている。
上の引用部のなかで冷泉氏が言うような、合理的な新しさによる地方への誇りの備給方法を考案する術は果たしてあるのだろうか? 

:ネット右翼の文法【3】

エントリーのタイトルのなかに「ネット右翼」という言葉が含まれていることは印象操作にあたるとの指摘をいただいた。
筆者としてはネット上での長文は読むに耐えないと思っている。そのせいもあって、なるべく簡素に内容が把握できるような工夫の一環として、やや人目を引くようなエントリータイトルをつけたこと自体は自覚していたが、それで気分を害される方が出てくるのは、本来意図していたこととかけ離れた事態である。もし過剰な悪意をそこに感じ取られた方がいたなら、お詫びしたい。
誰しもがネット右翼のスタイルを模倣できるような、その語学の教科書を紡ぐことが本来の意図である。逆に、ネット左翼の人にとっては敵の急所を図解する助けにもなるかもしれない。ともあれ、双方が議論を高めあうその最低限の土台として、自らの言説スタイルに自覚的になることは好機ではないだろうか。
さて、2ch上で靖国参拝に関するおもしろいカテゴライズの仕方を見つけた:

靖国
├参拝すべきだよ派(すべき派)
│  ├大東亜戦争はアジア解放のための戦争だったんだよ派(A級戦犯は神様派)
│  ├護国の英霊の追悼は当然だよ派(英霊追悼派)
│  ├中国の内政干渉は許さないよ派(国家主権派)
│  └死んだら仏という日本の文化だよ派(文化不干渉派)
└参拝はすべきではないよ派(止めろ派)
    ├政教分離原則に反しているよ派(政教分離派)
    │   └靖国以外の国立墓地を作ろうよ派(国立墓地派)
    ├戦犯を追悼するなんてとんでもないよ派(侵略戦争の美化反対派)
    │   └A級戦犯分祀しようよ派(A級戦犯分祀派)
    └アジアの国々に配慮しようよ派(いろいろ配慮派)
         ├植民地下の将兵軍属は分祀しようよ派(外国人分祀派)
         └中国様には逆らえないよ派(中国隷属派)

非常に要領を心得た分類だと思うが、それでも上の図では、以下の二点が欠落してしまっている。
【α】靖国参拝に難癖をつけてくるのは主に中国、そしてアジア諸国だけであってその他地域はこの問題に関心を抱かないかのごとく前提されてしまっている:中韓がキャンペーンらしい外交戦略を発動するよりも以前から、欧米メディアのあいだではWar Shrineとしての靖国のイメージが定着してしまっていた。上図の「いろいろ配慮派」は、アジア以外の国々に対する印象に対しても配慮をすべきものとして、拡張されるべきである。
【β】あえてアジア諸国を──わけても中韓を──刺激し、怒らせるために参拝すべきだ、という見方は、どこに含まれるのだろうか? 「すべき派」の分派のなかに、「特段メリットはないことは自覚してるんだけど中韓怒らせようかな派」を加えて欲しい。 小泉内閣には、スキャンダルらしいスキャンダルがない(それゆえに長期政権たりえた)、という言い方がよくなされるが、それは違う。最大のスキャンダルたる靖国参拝を就任当初から行うことで、その他のスキャンダルを瑣末なものへと相対的に縮小することに彼は成功しているのだ。

:フランスを笑えるのか?

フリードマンは、EU憲法の批准を否決したフランスの姿をあざ笑うアメリカ人に警鐘を鳴らしている:アメリカ人自身が、当のフランスがNonを投じたその同じ理由で保護貿易を擁護するきらいがあるのだと彼は言う。

The McKinsey Global Institute just published a study of how both Germany and France have suffered, compared with the U.S., by trying to put up walls against outsourcing and offshoring. It noted: "A new competitive dynamic is emerging: early movers in offshoring improve their cost position and boost their market share, creating new jobs in the process. Companies who resist the trend will see increasingly unfavorable cost positions that erode market share and eventually end in job destruction. This is why adopting protectionist policies to stop companies from offshoring would be a mistake. Offshoring is a powerful way for companies to reduce their costs and improve the quality and kinds of products they offer consumers, allowing them to invest in the next generation of technology and create the jobs of tomorrow."
Source: June 24, 2005 We Are All French Now?

このマッキンゼーのレポートは、フランス人の──もしくはアメリカ人の──雇用損失の不安にまったく答えていないかのように見える。なぜなら、企業としての業績の改善や国全体としての景気の上向きでは、個人の失業や困窮は救われないからである。だが、それでも自由貿易以外の選択肢はありえないのだとフリードマンは説く。保護貿易に走って──フランスのように収益性を逓減させた果てに待ち受けているのは──さらなる経済の悪化でしかないのだから。

:ローマ帝国【4】移民・外国人

移民をどう受け入れていくか、あるいはそもそも受け入れるべきなのか否か、日本でも議論の機運が高まっている。当ブログ執筆者としては「移民の大規模な受け入れは好ましくない;それでも受け入れないシナリオのほうがよほどの悪夢である」という立場を採っている。移民を惹きつける磁力とその国の国自体としての魅力は、正確に相関している。イタリア・ギリシャアイルランド系の移民を吸収しつつ成長を遂げた20世紀アメリカはもっとも最近の事例にあたるだろうが、ここではその最古の例をとりあげてみたい。

  • 戦争に伴う人の移動は激しかった
    • パクスロマーナと呼ばれる平和な時期にも、年間1万−1万5000人ほどが戦争捕虜として流入した
    • 大規模な戦時の捕虜は50万人をくだらなかった
  • 国境付近の過疎地などで、隣国人の定住を促す政策も進めた
    • 57年には十万人規模で受け入れをした
    • カラカラ帝は帝国内の全自由民にローマ市民権を付与
    • 軍隊の費用をまかなうため、相続税の増収を狙っていたとも
    • 後に西ローマ帝国を滅ぼすことになるゲルマン人も兵士として受け入れた:軍隊を名誉除隊した場合には、家族ごとローマ市民権を与えられるなどの待遇も

Source:前掲の日経新聞記事

現代日本では、戦争時の捕虜に相当する移民の類は期待することができない(在日朝鮮人もせいぜい60万人程度でしかない)。では、過疎地への外国人の定住・受け入れというアイディアはどうだろうか?:実はこの潮流は、すでに始まっている。
岩手県が県営の病院に中国人医師を「輸入」することを決めたのは、数ヶ月前のことだった。また、外国人「花嫁」の輸入も増加の一途を辿る一方だ。実際、山形県など過疎にあえぐ地方のとある市町村では中国から嫁いで来た新婦たち向けに、コミュニティとして語学教室などの整備を用意しているともいう。
以上の受け入れ方ならば、受け入れ消極論者の「体感」治安の悪化による議論と矛盾しない:受け入れに否定的な者たちの最大の論拠は、地域の治安が悪化するという懸念に基づくものである。だが、その「受け皿」を同時に用意することができれば──医師や花嫁のように──地域との齟齬を増幅することなく彼らを日本社会の一部に組み込むことができるのだ。