:ローマ帝国【4】移民・外国人

移民をどう受け入れていくか、あるいはそもそも受け入れるべきなのか否か、日本でも議論の機運が高まっている。当ブログ執筆者としては「移民の大規模な受け入れは好ましくない;それでも受け入れないシナリオのほうがよほどの悪夢である」という立場を採っている。移民を惹きつける磁力とその国の国自体としての魅力は、正確に相関している。イタリア・ギリシャアイルランド系の移民を吸収しつつ成長を遂げた20世紀アメリカはもっとも最近の事例にあたるだろうが、ここではその最古の例をとりあげてみたい。

  • 戦争に伴う人の移動は激しかった
    • パクスロマーナと呼ばれる平和な時期にも、年間1万−1万5000人ほどが戦争捕虜として流入した
    • 大規模な戦時の捕虜は50万人をくだらなかった
  • 国境付近の過疎地などで、隣国人の定住を促す政策も進めた
    • 57年には十万人規模で受け入れをした
    • カラカラ帝は帝国内の全自由民にローマ市民権を付与
    • 軍隊の費用をまかなうため、相続税の増収を狙っていたとも
    • 後に西ローマ帝国を滅ぼすことになるゲルマン人も兵士として受け入れた:軍隊を名誉除隊した場合には、家族ごとローマ市民権を与えられるなどの待遇も

Source:前掲の日経新聞記事

現代日本では、戦争時の捕虜に相当する移民の類は期待することができない(在日朝鮮人もせいぜい60万人程度でしかない)。では、過疎地への外国人の定住・受け入れというアイディアはどうだろうか?:実はこの潮流は、すでに始まっている。
岩手県が県営の病院に中国人医師を「輸入」することを決めたのは、数ヶ月前のことだった。また、外国人「花嫁」の輸入も増加の一途を辿る一方だ。実際、山形県など過疎にあえぐ地方のとある市町村では中国から嫁いで来た新婦たち向けに、コミュニティとして語学教室などの整備を用意しているともいう。
以上の受け入れ方ならば、受け入れ消極論者の「体感」治安の悪化による議論と矛盾しない:受け入れに否定的な者たちの最大の論拠は、地域の治安が悪化するという懸念に基づくものである。だが、その「受け皿」を同時に用意することができれば──医師や花嫁のように──地域との齟齬を増幅することなく彼らを日本社会の一部に組み込むことができるのだ。