江戸期の公吏

江戸中期は、アジア史では異常な社会だった。封建制をとりつつも、同時に沸騰した商品経済をあわせもっていた。[・・・]官吏・公吏の人数がこれほど過剰な社会は世界史になかった。
 はるかな後年、[・・・]明治六年(一八七三年)現在の士族の数は、戸数にして四十万八千余戸、人数にして百八十九万二千余人である。この人数を、江戸時代に遡及させていい。:46

人間の思考が神学的価値観から解放されたときに、近代がはじまる。:43

 日本は商人国家などと、わりあい自虐的に語られますが、歴史的に日本の商人は十分に魂の入った存在でした。
 その商人国家のリアリズムに基づいて、日本にとって困難の多い国際問題の交渉のなかで、その状況、状況で自らを慰め、相手に訴え、素晴らしいレトリックを生み出すべきです。[・・・]政府が主張するレトリックも工夫すべき[・・・]もっと魅力的なレトリックで説明してほしいものですね。:263-264
Source:『この国のかたち 四』