ネット右翼の文法【4】

下の記事中の石原発言をめぐって、あちこちで噴きあがっているようだ。保守派の思想基盤を鍛えあげることを課題とする我々としては、ここで考えてみたい:どんな噴きあがり方が適切な噴きあがり方であるのか、と。

石原慎太郎都知事は27日、東京都議選の告示後初めて候補者の応援に入った。
午後4時ごろ、石原知事は品川区で候補者の選挙カーに上り、20分余りにわたってマイクを握った。「もし小泉総理が今年参拝しなかったら、その時点でこの国はぼろぼろ腐って崩れていく」などと、靖国神社の参拝問題や都の治安対策について主張。
Source:朝日新聞2005年06月27日

拙速な反応の典型は、次のようなものである:
【α】この国が「ぼろぼろと腐って崩れて」いっていいわけがない→参拝しろ!
これでは、迷信めいた邪心信仰に靖国参拝を同値することになる。参拝擁護は防腐剤がわりではないのだから、我々としては、石原氏のレトリックを幾分か洗練させることを考えてみたい。
まず疑うべきは、石原氏が靖国と国の未来とを結び付けるその論理である。彼は一見、腐朽していく日本の未来を暗示することで参拝を煽る誇張表現を用いているように見えるがこれは、字義通りの悲観というよりは、随分な楽観に基づいているように私には見える。裏を返せば、
【β】『参拝さえすれば』→『腐らずに済むor日本はよくなるor毅然外交に資するものがあるetc』
という楽観に彩られた妙薬として、参拝を軽んじる言辞を用いてしまっているのだ。
とすれば、真の愛国者は、石原発言に乗じて噴きあがるよりも、彼のこの楽観をこそ諫めるべきである:参拝は、この国を「ぼろぼろ腐って崩れ」させないために、必要最低限の初手にすぎないのである、と。