ファスト風土化?

冷泉彰彦氏は『from 911/USAレポート』第204回のなかで、三浦展氏の『ファスト風土化する日本』についての読後感を語っている:

[・・・]この本全体としてはあまり愉快な感じがしませんでした。まず、東京の視点からそこまで「地方」を全否定するような見方自体が「コミュニケーション」として納得が行きませんでした。それに「地方の画一化が問題」という指摘は正しいにしても、これに対する処方箋が「吉祥寺」や「下北沢」の文化というのでは、応用が利かないと思ったのです。画一化から脱する方法は、地方の個性に「誇り」を与えることであり、またその誇りが「古さ」ではなく時代に合った合理的な新しさでなくてはならないと考えている私には物足りない感じがしました。
ただ、沈滞する地方がナショナリズムの温床になっているという指摘は無視できないと思います。
[・・・]都市と地方の問題、家族の崩壊の問題、産業構造の転換の問題が、多元連立方程式のような形で、人々の心に欠落感を与えているのでしょう。
(太字強調 引用者)

昨年のアメリカ大統領選の開票結果を赤青で塗り分けた全州の地図は、比較的牧歌的色を濃く残す内陸部がきれいにレッドステイツの共和党支持になっていたことをふと思い出す。日本の不幸は、二大政党化に向かいつつあるといっても、そのどちらの政党にも都市重視の政策選択肢しか妥当なものとして残されていないことではないだろうか:自民・民主のどちらもが、地方の時代を叫びつつも、実際にそれを具現化する哲学を提示できずにいるのだ。彼らが与えることができるのは──そして地方が期待できるのは──哲学ではなく単なるパイの配分としての補助金でしかなくなっている。
上の引用部のなかで冷泉氏が言うような、合理的な新しさによる地方への誇りの備給方法を考案する術は果たしてあるのだろうか?