:Class Matters【1】

New York Times紙が先週から特集しているアメリカ社会についての論考は、一見するなら──とくに、競争は激しいが同時に「公平かつ平等な」アメリカ社会というバラ色のイメージを持ちがちな日本人にとっては──奇妙な特集に思える。
 特集の主題は、Class,階級についてなのだ。

The trends are broad and seemingly contradictory: the blurring of the landscape of class and the simultaneous hardening of certain class lines; the rise in standards of living while most people remain moored in their relative places.
(May 15, 2005 Shadowy Lines That Still Divide
By JANNY SCOTT and DAVID LEONHARDT)

 この一節は、個人的な感覚と社会総体の呈するトレンドとが、完全に相反する場合のあることを教えてくれている。個々人が感じているであろう、所得の一般的な上昇や社会流動性の上昇は、いわば、枠とタガを嵌められた、一定範域内の事象であることが往々にしてあるのである。
 その場合、社会が帰結する風景は、新たな階級分断のラインである。ただし、それが従来のマルクス的二分論(:ブルジョワジープロレタリアート)とも、古典社会学的な三分論(:上流/中流/労働者)とも違うのは、それぞれのグループ内においての流動性は極度に高まっており、かつ、それぞれのグループの所得は──程度の差はあれ──いずれも底上げされてある、ということだ。
 かくして、個々人の見る夢は現実社会の呈する潮流と真っ向から反することになる。個々人の能力主義成果主義に託す希望は、過剰に、<出生>時の手持ちの札によって、前もって運命付けられているのである。