:司馬遼太郎:律令制

この国のかたち 三 (文春文庫)

この国のかたち 三 (文春文庫)

その前世紀[710年に平城京ができた時分]までは、日本の実情は統一国家というより、津々浦々の諸豪族の群立状態だった。
  豆腐をかためるのに、ニガリが要る。
  そのニガリの役割を、律令制が果たした。
  日本全国に律令という大網を打ち、農地という農地、人間という人間を律令国家がまとめて所有し、統一国家が成立したのである。(『この国のかたち』第三巻:160-1)

ガリの作用を担う行政体系があるならば、それを逆に、解体を促進させるような行政を導入することも可能なのではないだろうか?


Quick Review: 奈良朝(平城京)時代の日本の人口は5〜600万ほど。(ibid)