:司馬遼太郎:日本語

この国のかたち 一 (文春文庫)

この国のかたち 一 (文春文庫)


『この国のかたち』第三巻のなかで、司馬遼太郎は日本語の「成熟」について語る。社会の変革には、それに先立ってその思考を裏付け、補足するための語彙と体系が熟しきっていなければならないというのだ。

[・・・]日本の七世紀末から八世紀の社会には多様性がなく、一望、農民や採集生活者だけだったのである。
 それに日本語が未成熟であった。いわば生活言語で、抽象的な──たとえば、国家や社会についての──ことを論ずることはできなかった。
[・・・]ただ、明治政府は、日本語が成熟しきった十九世紀の政権だから、政府としての理論表現は、それなりにやった。(p. 164-6)

小説『義経』のなかでも司馬は、頼朝や義経などの登場人物の思考が当時の語彙では充分に表現しきれるものではなかったと、彼らの思考の特異性を評価している。

  新しい時代・社会には、それに相応した語彙と体系を備えた思考が求められている。