:Osawa

身体の水準で見えていることを、乾いた言語の記述に回収する作業としての社会学

社会学の知33 (ハンドブック・シリーズ)

社会学の知33 (ハンドブック・シリーズ)

一方では、人は、状況に内属しつつ、そういう者として特殊な関心や欲望を持っている。他方で、人は、そうした関心や欲望を常に否定し、括弧にいれ、それらに無関心でありうる超越的視点の可能性を想定しなくてはならない。重要なことは、超越的視点は、内在的視点を不断に括弧に入れ続けるという否定の反復を離れては、どこにも存在しないということである。このとき、甘美な快楽へと回収されない憂鬱に、人は必然的に襲われよう。甘美さは世界にない属する事物の移ろいやすさから逃れ得る避難所(王の身体)がこの世界の内にあり、そこに自身が保護されて立っていることへの信頼から生まれてきたのだから。社会学することとは、甘美な快楽の内に緩和されない憂鬱を、敢えて引き受けることなのである。[p17]