Korobokkuru2004-12-14


ドルの凋落で世間が賑わっている。

以下、The Economist誌の記事*1を読んで考えされられたこと。


Over the past 2,000 years, the leading international currency has changed many times, from the Roman denarius via the Byzantine solidus to the Dutch guilder and then to sterling.


ゆえに、今回のドルの失墜は何ら想定不可能な事態ではない、とThe Economist誌は分析する(もっとも、ドルの威信が完全に払拭されるには、──英sterlingがそうであったように──今後半世紀ほどかかるとの予想が付け加えられてある)。



  私が経済学の素人であるからか──と言っても、大学院の必修科目で数個のEconomics科目をパスしたのだが、以前から、次のような疑問が時折頭をよぎる。

【提案α】──数百億、数兆円の資産に穴が空くリスクに恐々とし続けるよりも、日本国内の流通貨幣である日本円を、いっそ、USドルに代替してしまってはどうだろうか。


この案を、


【A】馬鹿げているという感情的な反発;
【B】実現可能性が低いという門前払い;


この【A】【B】以外の理屈で斥けることが、果たして説得的な仕方で可能だろうか?私には即座には、気の利いた反駁が思い浮かばない。
【A】【B】の両方に一言だけ反駁をあらかじめ対置しておく:【A】は日本の通貨「円」を、国民性の一構成要素であるとか輝かしい経済成長の残光として崇めたてまつる態度から帰結される妄信に過ぎない。【B】に対しては、──政治哲学の紋切り型批判の口吻を借りて──こう言い返せる。「実現可能性が低い」にもかかわらず「実現されれば相応の利得が見込める」ことを、どうやって実現させるか、その手段を探求することに意義があるのであって、その方法探索のメリットの大きさを、可能性の低さを論拠として打ち落とそうとする議論は、現状判断と将来の指針検討とを、単に混同しているに過ぎない。

*1:The future of the dollar / The passing of the buck? / Dec 2nd 2004