:合計特殊出生率1.29

少子化傾向に歯止めがかからない。以下、朝日新聞の記事より:

  • 未婚化・晩婚化が進み、もともと数が少ない現在の20代が子どもを産まなくなっている
  • 71〜74年生まれの団塊ジュニアが30代前半の出産適齢期にある今後5年間は、「出生率回復にとって重要な時期」(内閣府少子化社会白書)
  • 昨年成立した年金改革関連法は、夫婦2人のモデル世帯での給付水準(受け取り開始時点)で「現役世代の手取り年収の50%」を維持するとした。それも出生率が07年を境に持ち直し、50年にかけて1.39に回復するという中位推計が前提
  • 合計特殊出生率は中位推計の場合、04年が1.32で、07年に1.30程度で底を打つとされていた。低位推計だと04年は1.25でその後も1.10まで下がり続ける(国立社会保障・人口問題研究所)

そもそも、政府の人口推計が外れまくっていることに大きな問題がある。上方修正するくらいのシビアな読み外しならまだしも、根拠もなく1.30程度で底を打つ、などとヤマを張られても、ミクロ水準での行動結果の累積である合計特殊出生率の算出には、なんら影響を与えることができない。
 現状のように、ネガティブな受身の補償を続けている限りは埒が明かないだろう。
子供を生み育てることで自分の身に降りかかるコストを、仮に
マイナス100ポイント
とする。現行の政策で補償されるのは、せいぜい多く見積もっても、
プラス50ポイント程度
でしかない。少なくとも、そう感じている女性やカップルがほとんどであるから、「理想的に欲しい子供の数:3人」と「現実的に育てることのできる子供の数:1人」のあいだにギャップが生じてしまうのだ。
 目指すべき少子化対策案の骨子は非常にシンプルなものだ:子供を多く育てれば育てるほど、自らの身にリターンが確実に約束されるような施策を考えればよい。──現代日本社会では、この、「メリット」が、「子を育てる喜び」であるとか「地域社会の活性化」であるとか、象徴的なもの・もしくは・共同体的な議論に回収しようとするトンチンカンな動機付けの議論が多すぎるのだ。
 上のポイント制の比喩を延長するなら、子供を1人、2人と生み育てるごとに、
プラス120,140ポイント
のメリットが期待できるような制度設計に切り替えるしか、少子化の流れに歯止めをかける術はないのではなかろうか。