:育児

以下の引用部分は政策空間ホームページより。
Source:いい案ありませんか?Katsunuma, Saori: volume 12

勝沼氏は、「子供と共に働けるところがない」日本の職場環境の現状に不満を表明しつつ、また、学童保育年齢に達して以降であっても、「子供の体調不良で仕事を休めるだろうか」との疑問を悲観的なトーンで呈している。氏の見知っている限りでは、ほとんどの「子供を持って働いている友達は、親に預けているのが実情」なのだという。

折角仕事に就けても、まだ小さな子供にトラブルが起きてしまったり、それゆえに失業したり、ということを考えると、まだ働けないと思う。もちろん、焦りを感じる。そして、自分が働けない状況にあることにストレスを感じてしまう。

 子供はかわいいけれど、子供が居るから働けないというジレンマ。2人目の子供が生まれれば、働けない期間は益々長くなり、教育費もかかる。さらに、「老後のためには3000万円必要」との報道を見、家計を見ると、「2人目はとても無理だ。」と思う。子供を産むことが、いいことに思えず、むしろ損なことにすら思えてしまう。けれど、本当に損なことなのだろうか。

氏の一連の議論には、ある1つの前提が共有されている:子供は実の親が面倒を見るのが好ましい、という前提がそれである。
 託児所や保育所の拡充を謳う自治体はたしかに多い。だが、その実現には──スムーズにことが運んだ場合でも──数年を要してしまうだろう。その数年の間に、施設の拡充を求めていた社会層においては、彼らの子供が義務教育就学年齢に達することで、そうした拡充を求める世論は「賞味期限切れ」になってしまう。社会全体で子供を育てよう、というそのスローガンやよし。だが、それはしばしば、料理を作っている間に空腹感がある程度癒されてしまうことに似ている:需要を即刻満たすことの出来る、いわばファストフード的な施策が求められているのである。
 では、どうすればよいのか? 一案として、以下の提言を試みたい。
 まず、上に挙げた日本社会に共有されてしまってある暗黙の前提、「実の親による扶養がベスト」という観念を捨て去ること──もしくは疑うこと──から始めてみたい。──と言っても、子育てを放棄しろなどと言っているのではない。そうではなく、子育てのために、「親」たる自身以外、そして親の親たる祖父母以外のリソースも──つまりは血縁の外部にあるリソースをも──積極的に活用していくべきである、と言っているのだ。
 親の親が、──子にとっての祖父母が──同居や二世帯住宅などの環境で、近くに住んでいる場合にしか両親が積極的に就業することができない、というのが勝沼氏の不満の1つであった。では、子供を監督する担い手を「血縁」にも「自治体」にも拠らずに拡充することを考えてみては、つまりは、血の繋がらない者ではあっても子供の監督を積極的に任せられるような信頼のおける担い手として、保育所・幼稚園以外の存在を想定してみてはどうだろうか?
 都市部ではあれ小規模自治体ではあれ、潜在的な余剰労働力には事欠かないのが今の日本である。日雇いバイトの派遣に学生たちは群がり、長期間続けることのできる職探しに中年リストラ組は群がっている。彼らに、保育所・幼稚園に準ずるような施設の運営を任せる「資格」を創設するなり、あるいは、ベビーシッター的役割に特化した派遣業を専門とする派遣会社の参入を自治体として推奨すればよいのではないだろうか?
 少子化や人口動態関は筆者の主要な関心領域であるので、本ブログ内のDemographyカテゴリーでもしばしば取り上げてある。参照していただけるとありがたい。