:ポリティカル・アポインティ 【2】

以下の引用箇所はすべて、政策空間ホームページより。
Source:良い政治任用、悪い政治任用2―アメリカ政治任用制度の歴史と日本への示唆―Tsuchiya, Akira: 土屋聡 : volume 13
以下、便宜的に、一文ごとに番号を振らせてもらう。

論者の土屋氏は、日本では単純に言祝がれることの多いポリティカル・アポインティ制度にも、さまざまな弊害が付随するのだと論じる。そして、次のように議論を移行させようとする:

【1】以上のように、政府の内外を繋ぐリボルビングドアとしてのアメリカ政治任用制度は、否定的な側面も持っているのである。
【2】ここで日本が学べることは何か。まず我々が認識すべきは、アメリカの政治任用制度にも問題点があり、政治制度の違いから、単純に制度を日本に導入できないという基本的な点である。

この繋がりは読んでいて違和感があった。
【1】のまとめ方は問題ない。だが、この【1】を受けて【2】に移る際に、「政治制度の違いから、単純に制度を日本に導入できない」という一節が挟まれているのがどうも釈然としないのである。

  • 社会Aと社会Bのあいだに違いがある 
  • 社会Aにおいては制度αが用いられている    

この事実を、単純に、以下のように表記することにする

 A≠B ∧ A(α)・・・命題X

このとき、「単純に」制度αは社会Bに「導入できない」と言えるだろうか?──数式的な表現を採用すれば、

 A≠B ∧ B(α)・・・命題Y

が成立しえないという、その不可能性を前提にすることができるのだろうか?
 
命題Xから命題Yを導くために必要な公理は、すべての社会(A,B,C,,,,)は、それぞれ特有の制度(α,β,γ,,,,)に対してのみ排外的に適合することができるだけである、というものだ。無論、土屋氏は「単純に」という形容動詞の副詞的用法を用いてポリティカル・アポインティの日本への導入可能性を完全に閉ざしてはいないが、命題Xから命題Yを導こうとしている限り、──そもそも双方の命題のなかに含入されてあるA≠Bの条件はいつまでも不変なのであるから、──制度αはいつまでたっても他の社会へ輸出を奨励されることはできないのだと、理論上はなってしまう。

私だったら、【2】を次のような趣旨で書き直すか、あるいは、【3】として、次のような論旨を付け足すだろう:日本とアメリカには、ポリティカル・アポインティを導入する際の初期条件がそもそも違うが、この差異はなんら導入のための障害にはならない。障害が予期されるのなら、それを緩和するための施策を講じればいいのであるし、また、その導入はあくまで手段であるのであって、最終目的である政治の活性化がそれによって少しでも到達可能範囲に近づくのであれば、むしろ本家のポリティカル・アポインティが、異国の日本でこそ十全に機能する可能性のこそを追求してみてはどうだろうか。
──と。