BBC / NHK

BBCとNHKのあり方を対比させつつ公共性概念を論じる宮台氏によると、日本ではポピュラーボーティングの近似代理物をもって「公共」を論じるという勘違いが横行しているのに対し、イギリス、BBCのそれはまったく対極的な位置づけにあるのだという。
 いわく、大多数の者に理解されることがなくとも、肝心の少数者に──宮台氏の挿話のなかでは500人に──届くことを念頭に想定される類の公共性があるのだという。


以下、5月19日付けの
MIYADAI.COMより引用 

BBCNHKの決定的な違いは、BBCは国営放送ですが、英国内での位置付けは中央銀行と同じで、政治的な介入が許されない仕組みになっていることです。
 その意味で、国営イコール政治的従属という図式は間違っています。下手に民間化するよりも、国営化した上で政治的独立性を法的に保証するほうが、政治的圧力に対してウァルネラブルでなくなる可能性があるのです。
 もう一つ、NHKBBCでは社内における公共性概念が違います。僕は以前、援助交際問題でBBCのドキュメンタリーにかかわりました。前衛的で難解な作りなので、「この番組を理解できるの人は500人もいないんじゃないか」と尋ねると、プロデューサが「500人しか理解できないことを述べ伝えるという公共性があるのだ」と言うのです。それをNHKディレクターに伝えたら、「NHKではありえない。『みなさまのNHK』こそが公共性で、見た全員がわかるような作りをしないと社内で通用しない」と言う。


[・・・]ポピュラーボーティングとは別の形で、500人しか理解できない特殊な思想も含めて、貴族的・賢人的な知恵を述べ伝えようと思うなら、マーケット原理よりもドミナントな別の原理を持ち込む必要があります。これは論理的な問題です。国営BBC放送はそういうところから発想が出てきています。その意味で、イギリスの貴族主義と表裏一体です。

[・・・]放送法にいう不偏不党とは、自民党の一部議員連中が言うのと違って、政党に平等に時間配分することとは何の関係もありません。不偏不党とは、第一に、政治的圧力を受けないことであり、第二に、反論権を保証することです。政治的圧力を受けないことが何よりも重要で、それが「中央銀行と同じ」たる所以です。こうした基本的なことが理解されない日本で、「システムが存続するために必要なことを確実に500人に送り届ける」ような番組の制作を、政府が担保することがあり得るでしょうか。僕は悲観的です。

BBCと日本の放送業界との対比は、宮台氏の近著『Interviews』の中にも見られる。(p.217-219)
BBCでは

  • ミドルマンの考え方を取り入れて「リサーチャー」という名のプロフェッショナルを置いている
  • 局のなかにオンブズマンを抱えている
  • 弁護士を数名抱えて年間三千本近い番組をチェックしていく

番組にオチをつけること、それを宮台氏は「意味論的なコスト」と呼ぶ。番組の質云々の次元以前に、作り手の側が主語を提示したナレーションを紡ぐこと自体に困難を感じざるを得ない時代に今われわれはいるのだと述べている。