:靖国

靖国参拝に反対するための論理は、代替的な信仰の対象を提示することによってしか強力なものに成りえない──と言えば復古調に聞こえてしまうだろうか。
 だが、──アメリカにおいて民主党キリスト教支持基盤への切り込み方を思案し続けているように──、日本のリベラル左派も宗教や伝統という戦場に切り込まねば、あるいは、そこを戦場とするような土俵の仕切り方を自ら舵取りせねば、変化を恐れる保守が、メビウスの帯を反転する回路をたどるかのごとく過激に走る国粋の暴走をまた目にすることになる。