:小説日本語

司馬は言う。「明治の文学の一特徴は、東京うまれの作家の時代であったことである」と
(『この国のかたち』第三巻:222-226)。

このことは、明治時代、東京が文明開化の受容と分配の装置であったこととかかわりがある。地方は、新文明の分配を待つだけの存在におちぶれた。
 明治になった文章言語も変容していくのだが、その言語を変える昨日まで東京が独占した。
 [・・・]三百諸藩にわかれていた江戸時代、藩ごとにあった方言はそれなりの威厳をもっていたが、明治になって、単なる鄙語になり、ひとびとは自分のなまりにひけめを感ずるようになった。
 [・・・][旧尾張藩出身で方言話者の坪内]逍遥のえらさは、口語文があたらしい明治の文学のために必要であることを知っていたことであった。
 [・・・]大正以降は文章日本語が社会に共有されるようになった。[漱石によって完成]
 [・・・]情趣も描写でき、論理も堅牢に構成できるあたらしい文章日本語が、維新後、五十年をへて確立した。

さらに司馬は同著中、奈良朝と平安朝において、「使用文字にちがいができるほどに(p228-9)」カブト/ヨロイの有り様が一変したという。前期においては甲冑、後期は鎧・兜が用いられているのだ。
 こうした挿話から、われわれは、その状況描写にふさわしい概念はしばしば、新しい表記形態で切り取られねばならないことがある、ということを学べるのではあるまいか。